日記

日々の生活で気になったこと、感じたことを文字化していきます☆

ふっきれ

 

制作してきたここ1年と少し、とても楽しかったな。

いろんな人に出会えたし、いろんな人に見てもらえた。

ものづくりはやっぱり素晴らしいけど、私にはきっとできないな。

 

諦めます

 

この一言を言うためにやり始めたんだもの。

最初から何番目かの日記にも書いたでしょ。全ては棄権のための時間でした。

ありがとう。

2012/05/13

 

いろんな人の矢が飛び交う戦場では鎧なしで動けない。

致命傷を負ってしまいかねない。

感情が飛び交う場所でもまた、同じ。

人の発する怒りや悲しみは矢のように突き刺さる。

あるいは高濃度の液体に似ていて

浸透圧により無防備な両生類のように

縮こまって溶けてしまう。

12/13

 

からっぽ

物作っている人には、ばれてしまいそうで怖い。

私が本当の本当は空っぽであること。

ただ過去に失くしたパズルのピースを、

抜け落ちたピースを埋めようと、

つくっているだけに過ぎないこと。

でも不思議。

どれも酷似しているのに、

どれもその穴にぴったり当てはまらないのよ。

だから似たような形にかたどられた作品たちが

死骸のように積み重なっていくだけよ。

12/09

時間

いまちゃんとやらなきゃいけないこと、沢山脱ぎ捨ている。

ぎりぎり最低限、もできていないかもしれない。

でもね、不思議、

充実してるの。安定してるの。

有限の時間の中で忙しなく動かないのに充実してるって

考えてみたら本当に不思議なんだけれども、

そんな事実もあるんだね、悪くない。
今脱ぎ捨てた分、

後でややこしいことになるかもしれない。

夏なのに沢山着こまなきゃならなくなるかもしれない。

あとで「あの時間、くそっ」って思うかもしれない。

そんな厚着の夏が来ても「くそっ」って思わないように、

今こうやって文字に残しておく。

 

今、私とってもあったかいの、って。

11/25

夜空を見上げて。

昔の人は星をみて線でつないで、お話を作った。

今日も私たちは空を見上げて、その「お話」の話をする。

今を生きる私たちも、

昔お話を作った人たちも、

同じ空、星。

とっても昔の人たちに思えるのに、

星の位置は変わらないんだなって。

人間の歴史なんて本当にこれぽっちなんだなぁ。

11/24

今日もまた、瞬く星に目を見上げている。

作りたいもの、沢山ある。

表現したいこと、

頭の中で構想ができているのも、いっぱいある。

途中になってる作品、いくつかある。

表現のスキルを上げなきゃ届かない。

今はまだ、お空のお星様を見上げている子供に等しい。

11/21

浮遊

世の中をふらふらと心もとない足つきで浮遊する。

「お家へ帰っておいで。」

そう呼びとめても、何日も帰ってこない。

何処で寝て、何を着ているのか。

わからない。

帰ってこない。

金魚のような美しさはなく、

ゾンビのようなまなこできっと

浮遊しているのだが。

11/14

久しぶりに
久しぶりに日記書きます。

前回から今までの間

あれこれ影響されて、風にたゆたうビニール袋みたいになっています。

何かにぶつかったり引っかかったりしてちょっとずつ裂けていく感じ。

そのなかで動けなくなったり、

写真とれなくなったり。

それで更に。

 

これからあたしの人生どうなるんだろう、な。

と思いながら、風にボロボロの身をまかせ、

11/10

 

蜘蛛の悩み。

 

八本もあしがあるとたまに起きること。

ぼくはどのあしから最初に動かしたらいいのか。

どの順序で動かせば上手に動けるのか

忘れてしまった、蜘蛛。

愚かしい蜘蛛。

だからあしが絡まって倒れた。

それだけのこと。

再び歩けるようになるためには

いくらかの犠牲を払わなければならない。

蜘蛛はあしをもぐ。

もいでも血は出ないから。

そうしてまた歩けるようになる。

どのあしが絡まってるのか慎重に見極めながら。

10/10

 

 

死体


生きてる人が死ぬ瞬間。

死んでる人が死体になる瞬間。

死体が屍になる瞬間。

屍が…

 

それぞれその間に

何か分からない決定的な「瞬間」があるんじゃないかと思った。

特に近しい人の心の中においては。

でもね、

その人が死んでからある一線を越えると、

死んだ人の「生」は誰かの中で

鮮やかな色を取り戻すんじゃないかしら。

そんな風に思いました。

10/03

このまま。いっそ。

 

このままこの人を見ていたら、

ぼくは狂ってしまう。

このままあの傘の下にいたら、

ぼくは狂ってしまう。


このままこのまま

 

ならばいっそ、

土砂降るなか、駆けてみようか。

土砂降るなか、狂ってしまおうか。

 

10/02

ピース

毎日毎日パズルをしています。

一日に何個かのピースをはめて、一日ごとに世界を広げていきます。

ピースはどんどん増えて10から100、100から1000…

それでも抜けたピースは埋まらない。

「そのとき」に入るはずだったピースは。

世界が大きくなればそんなの小さな穴に過ぎなくなるけれども、

それでもそこは埋まらない。

だから、ぼくは

 

09/29

しゃぼんだま

 

ひとの心も 良識も 

しゃぼんだまのように

ふわふわ。

ふわふわ ぱっちん

消えちゃった。

09/25

 

勝手に誇大妄想


勝手に誇大妄想。近頃。失敬。

09/21

雨のペンキ

雨の足音が聞こえてきたときの気持ちを思い出そう。
今日の雨はあなたを何色にしますか?

雨は心の壁の色塗り専用のペンキ。

 

いっつも冷たい寒色ばかりで塗らないで。

乾かすのはお天道様だけど、塗るのは必ず雨だから。

雨の日も楽しめるようになったら、

もっとカラフルなあなたに出会えるよ。

09/20

色鉛筆をあつめる

単色バラ売りの色鉛筆。

お出かけしてふらっと立ち寄った文具屋で

それまで見たことのない色の鉛筆を見つけて

思わず買っちゃう。

そういう買い物ばかりしてるから

私のぺん立てにはいろんな色があふれてる。

どの色も自分に誇りを持って凛としている。

まっすぐ立ってる。


人との出会いと似ている。

09/12

自分のやりたいことが何なのか分からなくなった。

自分のやりたいことが

何なのか分からなくなったような気がする。

最初から分からないのかもしれないけれど。

それは青色の時間で、黄色の時間で、赤の時間かもしれないけれど。

09/06

重たい。事実は重たいよ。

でも好む好まず関係なく、背負った荷物はしっかり背負っていきたい。

もし重すぎて脚が棒になってしまったら、

そこに荷を降ろして、ちゃんと訓練して筋肉つけて

またその場所から背負って歩いて行くんだ。絶対置き去りにしたりしない。

だって途中で捨てて行っちゃうような背負えない荷は最初から背負わない。

背負えないと思うの。

有能じゃないからさ、

それらを吸収して消化して身体の一部にする術なんて持ってないの。

だからどんどん背中に乗っていっちゃうの。

でもそれでもいいの。

深々と降る雪の中かんじき履いて笠かぶって

かじかんだ足を引きずるようになっても歩いてくよ。

ただね、「上を向いて歩こう。」

晴れた時には、そんなときくらいは、

上を向いて歩こう。

荷の重さは変わらないけど。

できるだけ上を向いて歩こう。

08/26

感じかた。

私は最近元気だ。

でも元気が続くと不安になる。こんな状態で大丈夫だろうかと。

もっと気持ちの落ち込んだ人生を送るべきだと思う。

私にとってその方がもっといろいろ感じられると思うから。

それが私の感じ方なんだと思う。

いろんな感じ方があっていいはずだ。

08/25

焦燥

あと一カ月もしないうちに

私はまたとしをとってしまう。

私の好きな創り手さんたちは

なぜか皆早熟。

20歳前後で作品が世の中に認められ始める。

だから、焦る。

焦る必要なんて全くないんだけれども。

自分がどういう器か分かっているから尚のこと

焦っても焦らなくても何も変わらない事くらいわかっているんだけれども。

しかしだ。

08/16

錯乱。

例えば、もう生まれた時から、

土の奥深くに埋まっていた箱。

その中にはいろいろな情報。

生まれた時からそこに埋まっているから、

あなたはその箱の存在について考えたり、

いたずらに取り質したりしなかった。

だって、無意識下に存在するんだもの。

その箱がそこにあることなんて覚えてないんだもの。

それがある日突然、誰かによって掘り起こされて、

中身もあけられて、無残にも地表に転がされてしまった。

実は中身はあなたが予想していた(出来レースのようにそれだと知らされていた)もの

と全く異なっていた。

その箱が無意識下から、意識の世界にやってきただけでも

あなたにとっては脅威、混乱を生じさせるものであるというのに

更にその中身によってあなたに驚愕を、衝撃を招く。錯乱する。

問題を解決しようと、

あなたの優れた脳味噌はその箱が出てきた深い深い穴を埋める。

しかしながら、余りの衝撃ゆえに、

肝心の箱のこぼれた中身をきちんとしまい、埋めるという行為ができない。

箱はそこに出っぱなし、倒れっぱなし。

脳味噌が頼りとする心は驚きのあまり何も受け入れられない、停止状態。

箱は片付けられぬまま。

それを、錯乱という、と思った。

08/06

 

積木

みんなは積木を重ねてく。

僕は横に並べてく。

そんな感じだと思う。

間違いかも、、と気付いたころには

もう手遅れ。

みんなの積木のお城はおっきくて。

僕は仕方なしに積木を横にならべる作業を続ける。

「いつかなにか報われますように」って。

迷った砂漠でオアシスを見つけられますように

とおなしくらいの期待と諦めで。

そうやって積木を横に並べて、

砂漠を、広大な乾燥地帯を広げてゆく。

自分を迷わせる原因を作っているのは、自分。

でも砂漠の砂じゃお城を作ってもすぐ崩れてしまうから、

今更お城は作れないの。

だから僕は砂漠を作り続けるしかないんだろうな。

07/16

 

 

キラキラした

眩しい太陽の下、

負けないくらい

キラキラした気持ちで

闊歩したい。

無邪気な子供のように。

外へ。前へ。

今前へ進んでいるのかなんて

もっとあとにならなきゃどうせ

分からない。

だから、

本能に従って歩いたらいいよ。

それが前へ進むことだと信じて。

07/11

HUE

そうやって自分を励ます。

HUEってタイトルの小説いや、掌編を

中二の時に書いた。

原稿用紙五枚程度の。

「私」は枠を捨てたいと思っていた。

でも捨てられなくてね、

みんなからもらった枠に収まらない事を

悔やんで悩んで死にそうになってた。

今、私が彼女に言ってあげられる事は

「枠を捨てなくても、そこに入れなくてもいいんだよ。」

ってことだな。

07/08

シアワセ。


七夕の笹に、短冊を括りつける。

みんなの願い事をひとつひとつ括りつける。

 

今日気付いた、

願い事を考えてる時間が

短冊を書いてる時間が

括りつけてる行為が

シアワセそのものなんだってこと。

 

淋しさが発信につながって、

発信がいつの間にか仲間と幸福を運んで来てくれるの。

 

07/05

あぶれる。

世の中からあぶれたい。

はみ出したい。

なんかね、

それができるほど強くない。

溢れる。

身体の中には音楽がぎゅうぎゅうに入っていて、

それが溢れて作品が出来ているんじゃないかと思う音楽家がいる。

私の中にも素敵な泉があってさ、

そこからカラフルな水があふれ出たらいいのにな。と思う。

その音楽家の曲はいろんなものを飛び越して心に届く。

私の作るものもそういう存在になれたらいいのにな。

そういうものを一つでもつくれたら、人生目標達成。

たとい泉が枯れてなくなっても、一瞬だけのものだったとしてもいい、

そこに溢れんばかりのものが存在していたという

痕跡だけをそっと抱いて生きていけるよ。

06/26

悟り

今朝、外をハリーポッターみたいなほうきで掃除をしてるときに悟った。

仏教が目標とする輪廻からの解脱、

あの輪廻って生まれ変わっても人間であるというサイクルから魂を解き放ちましょうっていう教えなんだけど、

それ多分違うと思うの。

輪廻って日常の繰り返しのことなんじゃないかって思ったの。

そこから何らかの手段で人生をやめることがその「輪廻」からの解脱なんじゃないかと思ったの。

実は本当はそういう内容だったんだけども、

それだと死者が沢山出ちゃうから人間サイクルからの解放って事にしたんじゃないかな?

まったく根拠もなにもない考えなんだけど、

今朝そう思ったの。

そう悟ったの。

だからと言って実行する訳じゃないんだけど。

06/09

傷をつくるのはわるいことじゃあない。

ばんそうこうは傷から絆を創ってくれるんだ。

傷から生まれる何かがある。

傷からできる何かがある。

それを背負う覚悟さえあれば、

傷はあなたを優しく迎え入れてくれるでしょう。

06/07

 

 

 

人生のろうそく

久しぶりに、前に舞い戻った。

身体はパワーアップした。

いつかツケがまわって来て、

こんなことをしている過去を呪うのかもしれない。

人生ってよくろうそくに例えられる。

燃える勢いが強ければ強いほど早く燃え尽きてしまうんだと信じているの

。だからね、今頑張れる。

自分で選んだ過去を呪いたくないから、

呪う前に太く短く燃え尽きてしまったらよいなぁ。

06/06

三日に一回くらい思うこと。

なんかね、すぐに感情が動かされちゃうの。

何かに例えるなら、ちょっとしたくぼみに乗っかっているパチンコ玉みたいに。

毎日毎日世界では殺戮や殺人が繰り返されている。

政治家は自分の尾っぽを追いかけてぐるぐる回る犬のように互いをけなし合う。

人間が自然を破壊してまでも生もうとするものの殆どすべてが終いにはゴミ。

みんないがみ合って。

この世の中で起きる事象すべてを受け止めたり毎日毎日そのにおいを一瞬嗅いで泣いたり、

そういうの、もう疲れたの。

感じることが多すぎて、嫌なことが多すぎて、もう疲れたの。見たくもないの。

テレビも新聞も要らない。

誰々の部分だけ主語だけ変わって繰り返されるあれこれ。

自分に見える範囲だけ、自力で見える範囲だけの幸せを守ることもできないのに、

そんなに大きな世界で起こっている不幸なんて知る権利ないんじゃないかなって思うの。

もう疲れたの。疲れ果てたの。

こんなにいろいろ感じること。

だから毎日生きてるのが嫌になっちゃうの。

なのにそれでも生きてしまっている罪悪感。

 

06/03

死にたい気持ち

毎日毎日死は私にほほ笑む。

天使のような微笑を浮かべて。

私の中では死のイメージは、そんなに驚くほど暗くない。

死を選べる人は、それはそれですごいと思うから。

死にたい人に対して

生きろとか、死なないでとかって言うのってかなり酷いこと。

私には正しいことのように思えないの。

ものすごく、無責任。

死にたい気持ちが点在していても死ねないのが私。

最近死体フェアをきっかけに私を認識して下さったり、

見てくださる方が多くて、それに頼ってしまっていたけども、

やっぱりちょっと趣旨ズレをおこしてるかなぁ。とも思うようになって。

本来はそんな死にたい気持ちを代弁するものっていう目的も多少なりともあったから。

死にたい気持ちがなければ、死体フェアなんてもの思いつかなかったから。

落ち着きを取り戻しつつあった死にたいさんが、

またほほ笑むようになってきたの。

これでまたいいものが作れるなら、

死にたいさんをもっともっと煽るような行為を率先して行うつもりです。

死を選ぶエネルギーって大きいから、上手く使えば死なずにしかもいいものが作れるのです。

そんな死にたい気持ち。

06/02

 

創作

創作は楽しいこと半分苦しいこと半分。

沢山のひとに出会って、いろんな思いや考え方を教えてもらう。

自分は吸収体になってそれぞれの人の思いに色をつけて、形をつけて。

考え方を伝えたいことに変えて。

創作出来たらいいなと思うし、そうやって物作って行きたい。

だから、私はもっと頑張らなきゃ。

普段はストイックに。人と会うときはとびきり楽しく。

誰誰のためとか、自分のためとかではなく、

もっと大きいもののために。

06/02

風邪

風邪をひきました。毎日毎日睡眠をあまりとらなかったのが原因と思われ…。

熱の出にくい体質のせいでかなり長い時間悩まされるのを思うと憂鬱で仕方がなかったり。

 

でもこういう時だからこそ、自分の身体にもキャパシティーが存在することを実感できる。

私、身体は強い方だから。

いつも精神的にしんどくても身体症状としてあらわれないのが嫌だったの。

 

小学生の頃学校が嫌だと母に言ったところ、

病院で人間ドッグさながらの精密検査を受けさせられて

結果をみせられながら「ね?異常ないでしょ?学校行きなさい」

といわれたときのあの心情。

だから、そうじゃないって。

という気持ち。

いじめられてたとかそうゆうのじゃないんだけどね。

 

風邪をひくと、昔のことばっか思い出しちゃうな。

05/29

この暖かい広い世界

 

そんな世界に住んでいる。

20年も。

大病もせずに。

いいこともわるいこともあるよ、

そりゃぁ、生きてるんだもの。

 

死ぬ一瞬前にね、心のなかで

フッと笑って、

あったかいこの世界。

ばいばい。

と思えたらいいな。

05/14

アミーバ

 

アミーバになる、魂を加速させる。超加速で走っていくとね、身体が発生する向かい風によってポロポロと分裂しだす。小さいアミーバがいっぱいできるの。

思考もアミーバと一緒。思考が加速していって小さい分裂体が飛び散って「なんだか大切なことを忘れているような…」感覚はとても好きだ。

実際思考は私たちに忘却をもたらす。現実との間に壁を築く。感覚や本能はおいてきぼりだ。だから私は本能的な何かに没頭することもできない。思考を克服することが近年の自己課題であったが、それを乗り越えるために思考を駆使するという矛盾が生じてしまっていた。

思考も魂同様アミーバのような形のない変化と分裂のきくものであると認知できるならば、それもそれで悪くはないなぁ。

アミーバは形を自在に変えられる点と分裂して己の分身を増やすことのできる点において、無限の可能性を携えているものであるから。

05/12

フラフープ

頭ん中、ふらふーぷ。

私自身、フラフープ。

ふらふらふらふらふーぷ。

頭ん中、ループループふらふーぷ。

カラフルなぷらすちっく。

なんだか、浪漫ちっく。

しょうもないきもちがループ。フープ。

ふらんふらん、帰り道。

ふらんふらん、ふらんふーぷ。

 

 

ストロボのかなしさ。

気力

気力という相棒は、外出中だ。

ただなんとなく食べ、時をやり過ごす。私を突き動かしていたのは、何かやらなきゃいけないというある種呪術的な焦燥感。

そこから逃れられたのだから、解放ととらえてもおかしくはないのに私は毎日やる気がない。やる気はたまに現れても維持していくことが出来ない。

すぐに押しつぶされてしまう。現実世界から逃れるように子供ノノ聖域へ。TWITTERへ。

眠ることもあんまりこわい。夜に目を閉じたりだとか。そうしてまた夜が私の足元にやって来ては、ドロドロと溶けて脚に腕にどす黒い色で絡みつく。

自分のきっかけやチャンスを自分の手で奪ってはいけない。

時を無駄に過ごすって事は、若さを失うということ。他の人間に先を越されるかもしれないっていうこと。こわいこと。

でも、なんにもできない。なんにも浮かばない。なんにも上手くいかない。動けない。

05/10

 

這ってでも。

居場所

小さくても、誰にでも築ける簡易雨しのぎだとしても、ここがわたしには大事な居場所なんだ。沢山の皆さんに励まされながら支えられながら保ってる大事な。ある人はばかばかしいって嘲笑うかもしれない。別の人はいつまでそんなことをほざいているのか…と憫笑うかもしれない。でも、それでもいい。わたしはここを守り続ける。雨しのぎ以上の価値を見出してしまったから。

05/09

エロとの出会い~小説編~
今室井佑月さんの『PISS』(講談社)が読みたくてどうしようもないのに何故か本棚になくて困ってる。誰かにあげちゃったのかもしれない。

エロい文章って意外と身近にあるんですよ。

私が最初に出会ったのは読売新聞の毎日連載の小説。”「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”の俵万智さんが当時連載していた『トリアングル』だった。

ある日、夕方になっても新品状態の新聞を可哀想に感じ開いていると連載小説が目に入った。

グンゼのパンツをはいていることに気付いて彼に見られたら恥ずかしいと思い慌てて自分から服と一緒にパンツも脱いだというような内容。

その後の展開も書かれていたに違いないがそのパンツを脱ぐ情景だけが今でも焼きついて離れない。

目に浮かびやすい情感。生々しさが伝わる細かい描写。文章たちの得も言われぬ高揚。いつ家族がやってきて新聞を覗きこむかわからない緊張。

その全てに私は衝撃と感動を覚えてしまって、何度もそのシーンだけを読み返した。

それがエロい文章との出会い。

それから私はエロい文章を求めて小説を買うようになる。

ただし文庫コーナーの奥の方にあるような本じゃなくてあくまで普通の文庫で並んでいる、メッセージがあって心理描写の多い「性」をテーマにした本を選んでいる。単に性欲を満たすためでない作品。

それを電車の中・学校の昼休み・お母さんの運転する車の中で何食わぬ顔をして読む。スリルというスパイスがエロの高尚さを加速させる。

『PISS』は初めて買った私のいうところのエロい小説。

表題作「PISS」はじめ何編かの短編が収録さえれている。中でも「鼈(すっぽん)のスープ」がお気に入りだ。

03/24

認められたい気持ち

多分自分は認めて欲しいという感情が大きい。

それは家庭環境の影響。

母が私に求めている人格と自分の実際に形成される人格との方向性のちがい。

それは、どうしても興味の向いてしまう分野というどうにもしようのない問題から、勉強のできるできないという自分が頑張ればどうにかなる問題まで。

その折り合いをつけるのに私はいまだに奮闘している。

まるで昔TV番組であった「イライラ棒」をやるみたいに。

慎重に母の求めるものを吟味して棒があたらないように話す。

いったんそれをするようになったら、どんな小さなことまでもイライラ棒するようになった。今日友達と遊ぶ。それさえも言えなくてイライラ棒して、今日は図書館で勉強、になった。

別人格の私がいつも待機していた。

ものを作り始めたのは、崩れてしまった人格たちの均衡点を取り戻すためだったっけ。

上京して母の元を離れた私は心おきなく自分のやりたい方向に自分を伸ばしていけるようになった。

しかし実家に帰ってくるときの為に心の中で母用の自分を飼育している事実はかわらず。単にもう一人の自分のを繋ぐ縄の長さを長くしているだけで呼び戻せる場所に飼っていることに変わりはなく。

そんな状況だったからさ、素の自分を認めてもらいたい衝動が強いんだと思う。

そうだよ、そのために作ってるんだよ。

だから先日ある素敵な女性に私のHPを見てもらう機会があって、「長くなったから」と返信のため作成したという文章を彼女のブログに載せてもらえたことがとても嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

震災のため近々お会いできる機会がなくなってしまったので、ここに記しておきたいと思います。メールで返信すればよさそうなんですが、なんだかメールじゃ惜しい気がして。お会いしてお伝えすることができないならば、見てもらえないかもしれない所にそっと書いておきたいなと思いました。

03/19

 

伝えるスピード

音楽っていいな、って昔思っていた。

それは簡単に耳に入ってくるから。

小説という手段で自己表現を試みていたから。

文字は読もうと思わないと読めない。

何万字、数百ページ。何かを伝えるには、

奪う時間が長すぎるな、と。

 

今は写真を撮っている。

写真はたった一枚。たった一瞬。

音楽よりも簡単に伝えられる手段を使っている。

 

そうしてそこの一枚の絵でいかに心を掴むかで苦悩している。

 

自分の好きなもの、やりたいことを選んだだけなんだけれども、伝えるスピードの観点から見たらかなり極端だ。

2011/03/15

作ること。

自分がモノをつくるのは、感じたことや考えたことをとっておきたいから。

私はただ単純に私のつくるものを見てくれる人が多くなればいいなと、嬉しいな思う。

そしてそこから出会いが生れたら面白いなと思う。

作品っていうほどそんな大それたものではないけれども、変哲もない日常に実は沢山あるキラキラしたものを一つでも多く掬って未来の私、過去の私に届けることができたら素敵だなと思って写真を撮っている。

写真を撮るのは幸せのため。

ちょっと前まで、モノを作るのは行き場のない感情たちの出口を作ることだったのに最近は変わって来ているのかもしれないということにこの文を書く過程で気付いた。

2011/03/10

 

取り壊しが決定した団地のメイン塔
取り壊しが決定した団地のメイン塔

夢の棄権
夢には限界がある。

思ってれば叶うとか綺麗事を鵜呑みにしちゃダメ。

でもそれじゃあ世知辛すぎるから、提案。

夢を諦めるための・自分の限界を知るための努力を精一杯しよう。ってのはどうだろうか。

大学時代のモラトリアムはそのためにあるんではないだろうか。

理想の夢やでかい夢とおさらばするために。

全力で頑張ってみればみえてくるじゃん?自分にはどこまでできそうか。

「この人は絶対に越えられない」って人に巡り合えると思うし。

そういうなかで夢に見切りをつけるんだ。いけそうと思ったら、その後も挑戦したらいい。

それだけの話。


さあ一緒に夢に向かって走ろうじゃないか!

んで途中で一緒に打ちひしがれよう?

気持ちのいい夢の棄権をしよう?

2011/03/07

この前チーズの箱で作ったガラクタ
この前チーズの箱で作ったガラクタ

感情
最近感情の振れ幅が、触れ動く瞬間が減って来ている。

これではまずい。

それの動きからは厄介なこともたくさん生じる。それが小さくなったら人間関係だってもう少し円滑にいくだろうし、もう少しまともな人間になれるとも思う。

でも私の好きなというか欲している私らしさも半減してしまうと思う。

破天荒な、恐ろしい、バカみたいな、頭の悪い、聞きわけのない、私。

 

揺れ動く幅の大きさが保たれているときは、同時に多くの問題を孕んでいたとしてもなお、自分が自分から解放される瞬間に巡り合える、そんな風に感じるのですよ。


均衡点を見つけたり、意図的にon/off出来るのが大人だったらなりたくないな。


ふとした瞬間に生れる解放が最も創造的で、最も大きなエクスタシーを運んでくる。

あの出会い。あのワクワク感!!

 


そういえば私はそんな自己完結的なことにエクスタシーを見出しているから、せっくすにそれを見いだせないのかな、と今思った。

2011/03/05

もっと自由に

いいものを読めよ・聞けよ

って言われるけどさ、そんなのわかんないじゃんか。

なにが良いものなのだ?

あなたの価値観と私の価値観とでは大きく異なるのに。

一般的に良いとされてるものの価値っていったい何なんだよ。

名誉ある賞?みんなが良いって言うもの?

よくわかんないけどさ、芸術ってそういうものじゃない気がする。

もう美しいのが素敵っていう時代はとうの昔に終わっていて、それはダダとか世紀末とかの美術形式の革命のときに終焉を迎えた。

だってあれだぞ。デュシャンの前までは「画家のように愚かな」って言われていたんだぞ。見たものを模倣する力だけで考える脳がないって。

だからデュシャンは頭ん中を表現する試みをし、芸術とは何なのかを問い直した。

そこから美とはなにか、芸術とは何か、個とはなにかが問われ始めて、今もずっと揺れている。

シンメトリーだけが美ではないし、綺麗なだけが素晴らしいとも限らない。

もっと自由になっていいんじゃないのかな。

2011/03/03

怒られるまで

自分がして良いことの線引きってものすごく曖昧。

それはひと個人の認識の違いによって異なってくるからだ。

それの限度を知るのもそれの限度を拡張できるのも若いうちかなと思う。

「先のことを考えてないような突発的なやりたいことはやるべきじゃない」

と母親に怒られたけれども果たしてそうだろうか。

やりすぎたら怒られる、怒られたら大体ここが私が思われてる・求められてる私の限度なんだなって気付けるじゃんか。

それって結構大きな学習だと思うんだよね。

んで、いろいろとやってみたいことをやっていくときっとそのうちそれがキャラクターとしてなじんでくると思うんだ。そしたら、「わかめならそうゆうことするよねーわかめらしい」と認識され、結果自分のイメージや求められているものを塗り替えるというか、脱却することができると思うんだ。

だから、怒られるまでやりたいことやってみたらいいんじゃない?

違うと思ったら反論すればいいし

説得させられたら直せばいいだけのこと。

評価を恐れないでまず石橋を渡ってみよう。

怒られてから考えりゃいいじゃん?

限界を超えること=可能性をつくること

2011/03/02

2/25のライブでゲットしたTシャツ
2/25のライブでゲットしたTシャツ

神聖かまってちゃん
最近、ここ1,2カ月前から神聖かまってちゃんにハマっています。

2ちゃんでも、youtubeでも見てもらえば分かる通りものすごい賛否両論のバンドです。私もなんでこんなにも好きになってしまったのか解りません。

ただぐわっっと心を掴まれた感じです。

その掴まれた勢いでyoutubeにの子さん(ボーカル・ギター)がアップしている自作PVを全て見、その他かまってちゃん動画も沢山見た。検索エンジンで「神聖かまってちゃん」にひっかかったものをほぼ網羅し、CDも一気に全部注文した。

自分でも異常だと思うほどハマってしまった。

説明できないんだけどね、こう溢れてくるものに惹かれてるんだと思う。

私もそんな風に溢れるものを持って発信できる人間になりたいなぁ。

いや、どんなに規模が小さくてもいいから、そうやって発信できる人間になろう!!批判?んなもん気にしないぜ☆ってね^^

2011/03/01

東京女子エロ画祭のその後
随分と長い間HPもtwitterも放置してました。

見てくださっている方、応援してくださってる方、ごめんなさい。

 

エロ画祭はこんな糞学生の私にとっては夢のような世界でした。そのため多くの刺激を吸収して整理するまでに多くの時間を要しました。

エロ画祭で楽しい時間を過ごしたのは当然ですが、一方で自分の稚拙さに打ちひしがれました。

もっと勉強しなくちゃならないし、作品を作る上で何が大切か、そもそも自分にそれを伝えられるような資格があるのか…様々なことが頭ん中ぐるぐるしました。

しかし、生理がきてあの獣じみた血をみた瞬間その獣が私を嘲笑。

「おまえがどんなに考えたって、存在意義を求めたっておまえは女以外の何者でもないんだぞ」「子供を産むっていう女の機能からは逃れられないんだぞ」と。

結局それが私の存在する事実であり根底であって、生き方どうのこうのはただのオプションなんだなぁって。せっかくエロ画祭からずっと頭をめぐっていたものが、ぐるぐるが一瞬にして、停止。落下。

なんか一気に「無」にさせられた気分でした。

なんとまぁ、悔しいことか。悲しいことか。

 

そして、そういう気持ちを作品にしたいなと思いました。

できるかは分からないんだけど、女の人のあの虚無感は女の人にしか作れないのだろうから。

これがこれが東京女子エロ画祭からやっと出た私なりの答えです。

 

エロ画祭の主催者さん、出展者の皆さん、お客さんの皆さん、この企画を教えてくれた友達のkちゃん、作品作りを応援してくれている仲間たち、みんなありがとうございました^^

2011/02/28

椎名林檎さん
本能の林檎さん

椎名林檎さん

椎名林檎さんとの「出会い」は強烈だった。

それは小学校低学年のとき。

チャンネルをまわしているとたまたま音楽番組に合う。

そこで「本能」を一瞬だけ目にする。

子ども心に「すげー…」と思った。あいた口が塞がらない。

文句なしに格好良かった。

その2年後、音痴なのに合唱部に入った私を見かねて母は毎週カラオケで特訓をさせてくれた。

そのとき、カラオケの受付の横にある大画面に惹かれるプロモーションビデオが流れている。

「何だろう素敵だ」とみていると「椎名林檎『茎(STEM)』」の文字が。

いつかTVで格好良いと思ったあの人にまた遭遇したのだ。

それ以来ずっと椎名林檎さんのきらり光る芸術センスに惹かれっぱなしだ。

もう何年になるんだろう。。

ライブにも行ったことがないし、ファンクラブにもはいってないのだけれどね(笑)

2011/02/08

ハート

好きなもの・素敵なもの

 

自分のホントに好きなものって大体一瞬で「これイイ」ってわかる。

人とかは難しいけれど、作品とか具現化されたものはわかる。

その一瞬の直感を大切にしたいなって思うんだ。

人にその良さが理解できないとかいろいろ言われること多いよ。

たいてい私が好きになるものってマイノリティだから。

でもそれでもやっぱり私はこれが好き!って言いたいなって。

それは自分の感性を大事にしてあげるってことで、個性を認めてあげることだとおもうんだよね。

公の場に出ちゃうと大半の人は無個性化しちゃう日本だからさ、自分の趣味とかイイって思ったことくらい自分の中で大切にしていきたいなと思う。

2011/02/07

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